Ami Hirano
2026.09.29 · 7 min read
ブランド・アフィニティ(消費者が特定のブランドに対して抱く強い親近感や感情的なつながり)は、ブランド認知やブランド選好をさらに強めたものとして説明されることがある。「ブランドを知る」「ブランドを好きになる」「ブランドを買う」という、マーケティングファネルをつなぐ存在として捉えられることも多い。けれど、私が「アフィニティ」という言葉について考える時、頭に浮かぶのはマーケティングよりも、むしろ化学である。一つは、私には説明できない複雑な “科学的” な化学(高校時代、有機化学にはかなり苦戦したので、科学的な話はこの辺りにしておこう)。そしてもう一つは、もっと「化学入門」的なアフィニティ(親和力)。つまり、あるもの同士は、他のものよりも自然と強く惹き合う、という考え方。ある元素同士は高い親和性を示し、自然と化学結合を形成する。一方で、接触しても、なかなか結びつかない元素もある。近くにあるからといって、そこにアフィニティがあるとは限らない。2つのものを隣り合わせに置くことはできても、それだけで意味のある結びつきが生まれるわけではない。
人間も、それほど違わないのかもしれない。考えてみれば、私たちも化学実験室にあるものと同じ元素からできている。誰かに「アフィニティを感じる」と言う時、そこには、一緒にいることを楽しみ、相手を理解し、信頼し、相手の中に自分と重なる部分を感じるような感覚がある。それは単純に「好き」ということよりも、もう少し深い。もちろん、すべての意見や性格が一致する鏡のような存在である必要はない。けれど、価値観や世界の見方、ユーモア、目指すもの、感覚。そうした何かが重なるところに、つながりが生まれるのだと思う。そして、それは一方通行ではない。2人の間にアフィニティが生まれる時、そこにあるのは2つの「me / 私」だけではない。少しずつ、新しい「we / 私たち」が形づくられ、つながり続けたいという気持ちを生み、世界に何十億もの人がいても、その人との関係を選び続ける理由になっていく。強いブランドにも、似たようなつながりを生み出す力があり、そこには単に「好かれること」と「アフィニティが生まれること」の違いが存在する。人と出会った瞬間に、「魅力的だ」「面白い」と感じることはある。けれど、それだけで必ずしも深い関係が生まれるわけではない。同じように、ブランドに好感を持ってもらうきっかけは、いろいろなところにつくることができる。良い商品、美しいデザイン、気の利いたキャンペーンなどは、ブランドに対するポジティブな好意を生み出すし、それ自体は大切なことである。けれど、アフィニティとは、そのブランドの「何が好きか」だけではなく、「どこか自分と近いものを感じる」ことから育っていく関係性である。そして、その関係性は「アイデンティティ」と「体験」という2つから始まると、私たちは考えている。
まず、人がブランドと関係を築きたいと思うためには、そのブランド自身にもはっきりとした「自分」があることが大切である。何を売っているかではなく、自分は何者なのかを知っていること。強いブランドは、自分が何をつくり、どう作っているかだけでなく、何を象徴し、世界をどう見ていて、何を大切にしているのか、そしてそれが商品の価値を超えて、なぜ誰かにとって意味を持つのかを理解している。それは世界観や感性、ものの見方、あるいは振る舞い方として現れるのかもしれない。形はさまざまでも、そこに一貫した「らしさ」があるからこそ、人はブランドを理解し、共感できる。
同時に、アイデンティティや「らしさ」を持つということは、すべての人に受け入れられるわけではない、ということでもある。ブランドがかつてないほど多くの人に届くようになった今、できるだけ多くの人に好かれようとするのは、自然な流れかもしれない。もちろん、便利で、信頼でき、できるだけ多くの人にとって役に立つこと自体が強みである、広く支持されることに価値があるビジネスや商品もあるが、その目指す先は、アフィニティを軸にブランドを築くこととは異なる方向性である。一方で、何かを主張することは、必ずしも賛否を生んだり、挑発的であったり、何かに反対することを意味しない。何を大切にしているかを言えるだけの具体性を持つことである。 丸くなることで、より多くの人に好かれやすくなるかもしれないが、その分、人がそこに引っかかり、つながるための何かも少なくなっていく。ブランドらしさがはっきりしているほど、人々にとって、自分と共有できる価値観や感覚が見つけやすくなる。
ただ、らしさやアイデンティティだけでアフィニティを築けるわけではない。人は、自分が何者であるかをいくらでも語ることができるが、本当の関係が始まるのは、その人が「何者なのか」を実際に体験した時である。
アフィニティを築く次の段階は、アイデンティティが言葉にしてきたことから実際の「体験」へと変わるところから始まる。ブランドがつくる場所、関わるコミュニティ、貢献するカルチャー、そして人々の日常の中でどのような役割を担うのか。そうしたものを通じて、ブランドのアイデンティティは、語るものから実感されるものになっていく。そして、それぞれの出会いが、その前にあったものと、その次に来るものをつないでいることも大切である。ある時にブランドが見せる姿と、その次に見せる姿が、まったく違う方向を向いていてはならない。一つひとつの接点が、一貫した「らしさ」の理解を少しずつ深めていく。強いブランドの体験は、ただ加算されるのではなく、蓄積されていく。
ただし、一貫性を保つことと、常に人の意識をとることは違う。むしろ、アフィニティにつながる体験を考える上では、「いつ、どこで、どのように現れるのか」を見極めることも同じくらい重要である。広告やコンテンツが溢れ、あらゆるものが人の関心を引こうとする今だからこそ、「目に触れること」と「つながること」を混同しないことが、以前に増して欠かせないものになっている。最後に見たからといって、それが心に残るわけではない。
では、そこまでしてアフィニティを築くことに、どんな意味があるのだろうか。
私たちは、その価値の一つは、アフィニティが感情的なロイヤルティへとつながっていく可能性にあると考えている。もちろん、「簡単だから」「インセンティブがあるから」「機能的に優れているから」など、人がブランドを選び続ける理由はたくさんある。どれも人を繰り返しブランドへ戻らせる力を持っているし、明確な商業的価値があり、場合によっては、アフィニティよりもはるかに即効性のある別軸の価値を生み出すこともある。ただ、それらは「条件付き」でもある。もっと便利なものが現れるかもしれない。もっと安いものが出てくるかもしれない。技術的にもっと優れたものが登場するかもしれない。そんな中、アフィニティは、ブランドが「自分に何を提供してくれるか」だけではなく、築かれたつながりや信頼に根ざしている。そして、その信頼があることで、次の意思決定も少し変わってくる。親しい友人がおすすめのレストランや本を教えてくれるたびに、毎回ゼロから「この人の判断は本当に信頼できるのか」と検証したりはしない。同じく、ブランドとのアフィニティがあれば、ブランドが何か新しいものを提案するたびに、毎回ゼロから関係をつくり直し、説得しなおす必要はなくなる。新しい商品を試してみる。ブランドと一緒に新しい市場へ参入してみる。あるいは、少し意外な場所までついていってみる。すでに築かれた関係性が、その次の一歩を踏み出すための土台になっている。そして、その信頼は、その人の中だけで完結するものでもない。人はブランドについて自ら話し、会話の中へ持ち込み、誰かに薦めるようになり、そこには、ブランド自身がどれだけ語っても得られない説得力を持つ。
そして、ここで再び化学の話に戻る。なぜナトリウムと塩素があれほど相性よく結びつくのかは私には正確に語れないが、その結果がおいしい塩になることは知っている。結局のところ、ただ近くに置けば、すべての元素が結合するわけではない。まず、それぞれの元素が「何であるか」、どのような性質を持っているのかが、何と結合できるのかを決める。そして、実際に結合が生まれるためには、それに適した条件が必要になる。ブランドも、似たように考えられるのではないだろうか。アイデンティティは、人がそのブランドの何に惹かれ、共鳴し、体験は、それを接点に変え、そこから生まれた関係が少しずつ深まっていくための条件になる。強いブランドは、ただ人の目に多く留まり、好かれるだけではない。自分自身の性質を知り、結びつきが生まれる環境をつくり、その中に、本当にアフィニティを感じる人に、関係を続けたいと思える価値を作る。そして、それを繰り返していく。