Daisuke Nakamichi
2026.09.29 · 5 min read
企業のいちばん大切な資産は、バランスシートには載っていません。
工場や在庫、現金はバランスシートに記載されていますが、そのブランドがなぜ選ばれ、なぜその価格で買われるのかという理由までは、帳簿から読み取れません。その理由を育てるための投資の多くは、会計上は費用として処理される一方で、市場はそこから生まれる将来の価値を評価しています。私たちK&Cは、人がブランドに見いだす意味や信頼を、企業の成長を支える資産として捉えています。ブランドをつくる仕事は、企業が持つ強みを人や社会にとっての価値に変え、事業の成長につなげていく仕事です。
この見えない資産の重みは、企業価値の構成にも表れています。Ocean Tomoの調査によると、1975年には米国のS&P 500企業の市場価値の約八割を有形資産が占めていましたが、2025年には約九割が無形資産によるものと推計されています。無形資産には技術や知的財産なども含まれ、そのすべてがブランドの価値というわけではありません。それでも、設備や製品のように目に見えるものだけでは、企業が評価される理由を十分に説明できなくなっています。何を持っているかに加えて、その企業にどのような可能性があり、人からどのように信頼されているかが問われています。
長くブランドの仕事に携わるなかで、私は、製品の良さと、それが人にとって持つ意味が結びついたときに、価格の受け止められ方が変わる場面を何度も見てきました。OnやHOKAのようなランニングブランドにも、その構造が見られます。独自のソールの設計思想をプロダクトに落とし込み、そこからブランドの世界観や体験をつくり、それを届けるために投資する。こうした取り組みが一貫しているからこそ、機能の違いがブランドとしての違いになり、「この一足を履きたい」という気持ちにつながります。価格を支えているのは、製品の仕様に加えて、そのブランドを選ぶことに人が見いだす価値です。
SatisfyやGymsharkのようなブランドを見ると、その価値は製品だけで完結していないことがわかります。自分と感覚の合う人たちに出会ったり、ブランドの活動に参加したりするなかで、そこに属しているという実感が生まれます。こうした関係は、企業が伝えたいことを発信するだけでつくれるものではありません。人が大切にしていることを理解し、その人たちの活動や文化に、ブランドとして何を持ち寄れるかを考える必要があります。そこで生まれる経験がブランドへの理解と重なることで、関係は一度きりの購入を超えて続いていきます。
品質は、その関係を支える前提です。ただ、品質の高い製品がいくつも並ぶなかでは、性能の比較だけでは選択を説明しきれません。どのような考えを持つブランドなのか、これまでにどのような経験をしてきたのか、自分が大切にするものと何が重なるのか。人は、そうしたことも含めて選んでいます。その積み重ねによって信頼が生まれると、新しい製品を試したり、誰かに薦めたりする理由にもなります。企業にとっては、値引きに頼らずに選ばれる力や、次の事業に踏み出す際の土台になる。私たちがブランドを経営の課題として扱うのは、こうした関係が将来の収益を支えるからです。
日本企業が企業価値を高めていくうえでも、この視点は欠かせません。東京証券取引所は、プライム市場とスタンダード市場の全上場企業に対して、資本コストや株価を意識した経営に向けた対応を求めました。自社株買いや政策保有株の解消、コスト削減は、その対応として必要な場面があります。ただ、資本の使い方や支出を見直すだけでは、これから何によって利益を生み出すのかという問いは残ります。長いデフレのなかで磨いてきた効率性に加えて、自らの価値に見合う価格で選ばれる力を育てること。そのための投資として、ブランドを捉える必要があります。
日本には、その出発点になる強みがすでにあります。精密さや丁寧さ、長い時間をかけて蓄積してきた技術と文化は、多くの企業の製品や仕事に息づいています。ただ、作り手にとって当たり前のことが、買う人にも伝わっているとは限りません。その強みが誰にとって、なぜ大切なのかを捉え、製品やサービス、実際の体験を通じて感じられるものにする必要があります。私たちがMeaningful Premiumと呼ぶのは、そうした価値に人が納得して対価を払うあり方です。高級品というカテゴリーに限った話ではなく、そのブランドを選ぶだけの意味があり、その意味が価格を支えている状態を指しています。
その実現には、企業が大切にしていることと、事業として目指すことを切り離さずに考える必要があります。私たちはクライアントとともに、その企業ならではの強みや考えを明らかにし、人や社会との関係のなかで、どのような価値になり得るのかを考えます。それを表現にとどめず、製品や体験、文化への関わり方にまでつなげていく。企業の内側にある価値を、外にいる人が自分にとって意味のあるものとして受け取れるようにすることが、K&Cの仕事です。
人がそのブランドを選び、その値段を払い、その後も関係を持ち続ける理由は、ひとつの施策で完成するものではありません。企業が何をつくり、どう振る舞い、人や社会とどう関わるかによって、時間をかけて育っていきます。私たちは、その蓄積を企業の資産として考えています。ブランドへの投資を、目の前の売上と将来の事業価値の両方につなげていくことが、クライアントとともに取り組むべき経営の課題です。